
こんにちは。DJヒロです。
俺は学校がキライだった。
アインシュタインやエジソンは、たしか小学校中退だ。
わかるよ。天才は、他人のペースになど合わせたくないのだ。また、人と同じである事にも興味がない。自分の感性に身を委ねたいのだ。
学校に行くのは「権利」であり、「義務」ではない。
だからこう思う。
「不登校」などという言葉は、この世界から消してしまえ。
今日は、「不登校」についてお話ししようと思います。
「不登校」という言葉は実は使いたくなくて、「なくなればいい」と思っています。
もっと言うと、
という二極化している考え方自体がもう「なくなればいい」と思っています。
行けない=× 合わない=○
学校というのは、すべての人に合うように作られているわけではないので、合う人もいれば合わない人もいます。
「学校に行けない(行かない)」というのは、単純に「合わない」わけですよね。
例えるなら、海みたいなものです。
学校が海だとしたら、海(あるいは水の中)で生活することが心地いい魚やエビにとっては良いんですよ。
でも、そうじゃない生物にとっては苦痛でしかない。
ムリやり海に放り込まれる
学校が合わないのに「みんな行ってるんだから行かなきゃダメでしょう」みたいに言うのは、例えるならば「ニワトリに泳がせるようなもの」なんです。
「お前よく見てみな。魚もエビも、みんな泳いでるだろ。だからお前も泳げ!」みたいに言って、ニワトリを海に放り込もうとしている。
そんな馬鹿な話があるか! ということですよね。
この間、ニュージーランドで生活している方とお話しする機会がありました。
ニュージーランドには、不登校という概念がそもそもないんですね。学校に行ってもいいし、行かなくてもいいと。
登校しない権利
どちらかが問題があるということじゃなくて、「どっちでもいい」ということです。
日本もそういうふうに、権利として尊重されるといいなと思います。
学校に行くのは義務ではなく、「選択する権利」があるのだと。だから学校に行けないからといって非難されたり、あるいは自分で自分を責める必要はない、と。
今は(例えば「ゼロ高等学院」のような)普通の学校が合わない人にとっての選択肢も、少しずつ増えてきてはいますが、そういうものがもっともっと増えたらいいと思います。
自分らしく生きてOK
いちばん重要なのは、学校に「行けない」んじゃなくて「合わないだけ」という認識を持つこと。
そして、「合わないんだからべつに無理して行くもんじゃない」「行くも行かないも権利であり自由なんだから」というふうに、「行かない権利」を認めてあげること。
まず、そういうことから始めていくことが大事です。
学校に行けなくて悩んでる人は自分を責めないでほしい。
「行くも行かないも自分の権利であり自由なんだ」という認識を少しでも持ってくれることが、次のステップへの第一歩になると信じています。
このテーマに関しては、またどこかでお話ししようと思います。
〆DJヒロ